プロ野球の悲しい事件
1960年代後半にプロ野球界で発覚した敗退行為は、実行した選手の多かった西鉄ライオンズのみならず、プロ野球界全体が存続の危機にさらされた大事件でした。
事の発端はペナントレース中、敗退行為をしている選手が存在すると感じたパ・リーグの西鉄ライオンズ球団が、極秘調査をすることに始まります。
事件発覚の数年前、永易投手が敗退行為をしているという事実を掴んだ球団は、その事実を公表することなく極秘裏に握りつぶすことに成功しています。しかし、1969年に新聞記者の取材に対し、球団社長が敗退行為の事実を口外したことで遂に表面化しました。
当時は敗退行為があったとしても、記者はその事実を記事にしないという業界内の暗黙のルールが成立していましたが、表面化したことで1969年のシーズンオフに永易投手の永久追放処分が決定します。
翌年には読売ジャイアンツの選手による、グラウンド外での反社会的勢力との関わりがニュースとなり、これを含めてプロ野球界の闇として社会的な大問題へと発展していきます。
最終的にはプロ野球界にとどまらず、オートレース選手にも逮捕者が出るなど、多くのスポーツ選手が処分されました。プロ野球界では永久追放処分が6名、全体で19名もの処分者を出し、多くの人間が関わっていた西鉄ライオンズは、一時の強豪軍団から下位球団へ低迷、後の身売りへと転落していきます。